母とエースパイロット

帰郷中に亡母の若い頃のアルバムを見ていて、気になる写真が出てきた。


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写真には昭和28年10月30日と記されている、ということは
私はおろか長兄の村正氏もこの世に生まれていないばかりか、結婚以前、つまり母の独身時代の写真である。

24歳で母は空を飛んだのであった。。。。

場所は日章飛行場(現 高知龍馬空港)

そしてそこに記された 

「赤松さんはすごい操縦士だ」の一文・・・・・

読んだ瞬間にピンときた! おそらく間違いない!!

赤松さんというのは、大戦中の海軍パイロットにして厚木 302航空隊の伝説のエース赤松貞明中尉ではないかということだった。

赤松貞明中尉は、302空では最後本土防空の激戦を気難しい雷電乗りとして生き抜き、
戦後は故郷の高知県、赤岡町に戻っている。

その赤岡町というのは、実は日章飛行場の隣の漁港町であり
赤松氏が漁協に買って貰ったパイパーカブも当然、その日章飛行場を使っていた筈である。
(その後赤松氏はその機体を売り、飲み屋をやっていたという)

つまり母は独身時代の最後に赤松貞明中尉のスゴイ操縦の洗礼を受けていた可能性が強いのだ。

写真に写った操縦席付近を拡大してみる

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残念ながら、僕にはこの人物が赤松貞明元中尉なのかどうかは判らない。

私が天寿を全うできたとして、あの世の母にこのことを確かめられるのは二〜三十年後になるだろう
その結果をこのブログで公表出来ないのはある意味残念だが、

この一年後に結婚した母が産んだ村正氏こんな仕事をしているのは、母が経験、蓄積したDNAの仕業の一つと呼んで差し支えはないと思う。


尚、手前に写っている女学生達は教師だった母の教え子達らしい。
彼女達も現在は70代前半であろうと思われ、悠々自適の老後を送っているであろう人達だ。

もしかして彼女達に確かめるという可能性はあるかもしれない・・・・


本日は母の30回目の命日であるので記念に公開した。

残念なことにこの空型DNAを受けなかったであろう私は、これから蟹ぃ娘の高校の入学手続きに向かうのだ。




参考

世界のエースパイロット


赤松中尉
by coolys1 | 2009-03-13 11:53 | 土佐日記 | Comments(8)
Commented by 坊。 at 2009-03-13 18:46 x
赤松さんなんでしょうね。これは凄いなあ。
ところで、この飛行機何でしょう?パイパーカブじゃないですね、低翼機だし。エアロスバルじゃ時代が合わないけど、ひょっとしたら試作機?

日章飛行場は今の高知坂本竜馬空港ですね!

Commented by キハ17 at 2009-03-13 20:55 x
これは凄いですね。雷電には赤松中尉というイメージですねえ。

関係ないですがエースパイロットの「ついてないカタヤイネン」は笑ってしまいました。
Commented by flarist at 2009-03-14 09:02
写真のレイアウトに意匠型DNAが感じられます^^
Commented by 酔之字 at 2009-03-14 12:29 x
おお、赤松中尉、高知の方だったんですね。

機体はT34っぽいですね。
尾翼がV字にも見えますので、
もしかしたらオリジナルのボナンザかもしれませんが、
キャノピーが違うような。

これはお兄様に聞いた方が早いかも。
Commented by coolys1 at 2009-03-14 13:41
まとめてレスで申し訳ありません。
坊さん 先日はなした衝撃の事実はこのことでした。
(確定ではないですが、関係者がこの世にいませんので・・)
搭乗機は不明です。

キハ17さん
ウィキで読んでいると、自分でも大変な雷電を200j時間にも満たない若い搭乗員がなんとか操っているのを見て赤松氏は感心していたようですね。
「ついてないカタヤイネン」読んでみます。

flaristさん
えっ そうですか!? でも当時の縦書きで左書きの文章は
母独自のものかも知れません? コメント好きだったようですね。

酔之字さん
書籍 日本の撃墜王(だったかな)では赤松氏は赤岡漁協の
手伝いで
*帰郷して酒ばかり呑んでいた氏にやる気を出させるために
バイパーを買って空から鰹なんかの魚群の偵察をやって貰ったらしい・・・

彼はしかし、アルコール依存症から立ち直れずに・・・

機体は兄も判らないと言ってました。
どうやらパラレル配置のようですので、メンターとは違いますね。
ボナンザは似ていますが、調べると五十年代前半ですとまだ
100機レベルの生産量なので・・・・

これまた永遠の宿題なんかな?
Commented by coolys1 at 2009-03-14 14:02
国産で戦後試作生産された機種は以下のみですね。

ttp://gunsight.jp/b/1/sengo.htm

ほぼ1~2機の生産で研究の域を出ていませんです。
唯一量産された富士のLM-1連絡機は29年からの製造なので
残念ながら除外ですね。やはり輸入機体なのかな?
それにしても戦後民間航空が再開されて二年後の遊覧飛行です!!

さぁ 輸入機体調べるか (^o^;;;
Commented by とさみずき at 2015-01-31 21:22 x
こんばんは、失礼致します。 だいぶ月日がたっておりますが、お母上と同じ土佐は高知の者ですので コメントさせて頂きます^_^

郷土の赤松貞明さんを検索していて、ご縁あって こちらに....

びっくりです。 この様に貴重なお写真と巡り合えて光栄というか...

戦後すぐに近い時期の日章、また飛行機と女学生達。
高知県人として感慨深いというか。
ご縁を頂けて良いお写真拝見させて頂きました..*
Commented by coolys1 at 2015-01-31 23:34
とさみずきさんこんばんはコメントありがとうございます。
高知の方ですね! 
母親は49歳でこの世を去りましたが、このようなエピソードを持っていたとは全く聞いていませんでした。
ヒヤ汗をかきながらなんて書いてますので、なんか曲芸っぽいことをされたのかな~?
なにせ25歳の乙女ですからね。
郷里でじっくり調べれば、当時の学生も見つけることができるかもしれません。写真の女学生達も70代後半でしょうけど、まだ元気な方もおおいでしょうね。


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