多摩川上水から分水されたらしい「だいだらぼっち」由来の
森厳寺川が世田谷の低地で合流するのが、北沢川。
今回は馴染みの玉川上水緑道からの出張で下ってみることに。
まずは笹塚より分水された三田上水沿いに下り、三角橋交差点から京王井の頭線の池の上駅をわたる。
この池の上を横断する道路、実は都道で、環七と環六の間を並行する、名称:都道420号線大山〜鮫洲線(一部区間中野通りという)
と呼ばれる、北は板橋から南は品川まで行く環状道路計画。
とは言っても、三宿〜五本木とか 中野〜笹塚なんかの整備区間ではないので、まだたんなる普通の道の風情。
池の上駅付近では都心とは思えない寂寥感を感じさせる、しもた屋通りとなって・・・
坂道を下っていくと両側は瀟洒な住宅街。 道沿いにはアンゴラ大使館やインド大使公邸なども・・
ここが将来
こんな風になるとは、今は想像もつきませんが、とにかく自分が生きているうちに、開通しないことは間違いない。
池の上からの坂を下りきると淡島通りへ一旦合流し横道にはいると、そこが北沢川。
梅ヶ丘の先が水源地と思われるこの川は環七や茶沢通りを横切りながら、世田谷の低地をなぞるようにして流れてきてる。
かつての川の面影というより高度再生下水をを流す現在の小川風清流というのが本当の姿なんだろううけど、
かなりの樹齢を数えそうな桜並木等は本来の川筋のものかな。
清流には、小魚も沢山生息しているが、ここでは地元の子供連れの方がザリガニを吊りを楽しんでいる。
北沢(もはや川と呼べない)の南側は住居が隣接していて、そこらかしこに小体な橋がいくつも架かっているけど、
それらが必ずしも、それぞれの家の玄関に繋がって居るわけではないようで、むしろ家は沢に背を向けて建っている感じなのが判る。
下水道も無かった時代の沢は、流し場等の洗い場とか排水とか、生活の裏側の面を支えていたんでしょうきっと・・・
さらに下ってくると、両側が槇の生け垣状に。 槇の生け垣は実家にもあったのですごく懐かしいもの。
ここで、三茶方面から流れてくる、烏山川と合流、両川が現役だった頃には絶対になかった標識だろうね。 笑
烏山川と合流した北沢は、目黒川と名を変え池尻大橋を目指すことに。。。。
次回に続く