昨日立ち読みした書籍でもうひとつビックリしたこと。
陸軍の試作ジェット機 キー201 「火龍」はなんと
そのライバルとしてロッキードP−80シューティングスターを
目標に置いていたということだ。
私は、なんとなくP-80は戦後のジェット戦闘機というイメージを勝手に
もっていたので、これはビックリ!!
たしかに「火龍」は、特別攻撃機としての性格を持った海軍の「橘花」とは
違うらしいとは聞いていたが、どうやら当時の敵国 米空軍のP-80の設計
仕様/概念を入手検討していて、そのP-80のような高速飛翔体
(陸軍ではそういうらしい)との空戦も意識していたというのだ。
こういった兵器の極秘情報入手は戦争末期にも中立国や第3国を経由した情報収集が
さかんに行われていたのだなあと思わせ、興味深い。
これは、独逸のティーゲルやヤークトティーゲルを意識した、チリやホリ(II)等にも
感じられたことで、ウッスラとした情報や仕様/構造を不眠不休で最短期間で国産>
実体化しようとした設計技術者達の労苦が目に浮かぶ。
「火龍」についてはコチラの素晴らしいHPに出ています、辿ってみてください。
(中島飛行機>「橘花」の項目より辿るといい)
古典航空機電脳博物館
P-80シューティングスターはコチラ
当時の日本に限ったことではないだろうが、ファックスやメールや宅急便等々の通信/運搬システムが皆無の時代、いつ停まるか判らない鉄道を使って何百枚も図面を持って疎開先の工場に赴き、製作していたのだから、設計、製作に携わった方々は本当に眠る時間があったのだろうか?と、いま呑気に思ってしまう私だった。
続く・・