思い出のサニトラ

「おい! これから富士の裾野まで行くからお前が運転しろ!」

1979年の秋、突然そんな風に言われた僕は、神奈川県は平塚のスーパー長崎屋の改装現場にいたのだった。
(長崎屋は今はなき*注 総合スーパー=今で言うGMS)

当時いた会社が請け負った仕事の手配のミスで、引き渡しの日に陳列部材が足りなくなるという不始末。

実は大変やばい状況なのである。陳列する引き渡しは数時間後。。。。

当時21歳かそこらの僕より、一回り以上年配の現場管理責任者のKさんが、本社の発注担当者と連絡を取りあっていよいよ決まった最後の手段。

結局その部材を作っている裾野の工場まで直に取りに行くことになったのだ、(ちなみにそれはOKムラと呼ばれる天下の岡村製作所であった)
(1979年である。 携帯はおろかFAXも宅急便も赤帽もない世界なのだ、しかも我々は電車で現場に来ている)

クライアントの長崎屋店舗としても引き渡しに遅れられると困るので、じゃぁとクルマを貸してくれることになった。

それが当時の「サニトラ」  これ使いなよ!と親切な店舗の施設課のオジサンが貸してくれたのだった。

車体側面にはでっかく「長崎屋」と描いてある店用車である。

学生時代には友人達の所有とはいえ、1600ccのブルーバードや2000ccのスカイラインを運転させてもらっていた自分だったので、

「ひゃーこんな1200cc足らずのトラックでこれから東名走るのかよ~!! っておおいに落胆したもんだ。

ともあれ、免許持ってない先輩を隣に載せて(きっと私を一人で行かせるのは恐ろしく不安だったのだろう)
平塚から厚木ICに出て、東名高速そして裾野ICまで、午後の決死の作戦スタートである。

ところがところが、いざサニトラ操ってみると軽く吹き上がるエンジンで軽快にスイスイ高速を走って行ってしまう!なんの杞憂もなく裾野の目的地へ着くのだった。

大切な部材を荷台に載せて、ああこれで現場もうまく間に合うな~なんて思うと、とたんに復路のドライブも楽しくなって二人で秋の裾野の景色を楽しんだもんだった。

たった一回のサニトラでのドライブでこのクルマへの印象は多分死ぬまで変わらないものになったに違いない。



写真は今年の夏に横浜は西区の路上で見かけた「サニトラ(後期型)」 ほぼノーマルっていうのが凄いのだけど

実は、ここのミシン修理店の現役営業車でもあった!
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その後も仕事でたまにここの前を通りかかるんだけど、このサニトラは大事に仕事に使ってもらっているようだ!

なぜかドアに○○ミシン店って立派に描かれたこのクルマを運転している自分を想像してしまい可笑しかったが、多分譲ってはくれないだろうなぁ。

三十数年前に一緒にサニトラトリップした、「一番」苦手だった先輩はとっくに引退して、郷里の福島と東京を行ったり来たりする自由人となっている。

現役時代はむっつりして気難しい感じの人だったけど、再会して酒を呑んだりすると、陽だまりのような温かい方だった。



*注

長崎屋は90年代終わりに倒産したけど、ブランドは生き残っていて、いくつか店舗はあるようだ。
ちなみに長崎屋の発祥の地は平塚である。
by coolys1 | 2015-10-02 23:12 | 伊太麗利・尽癖利 | Comments(0)


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